こだわりの不動産投資

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ところが年末に「採用ゼロ」という知らせがあり、「家の光」の幹部が出版取次の東京出版販売(現、トーハン)を受験してはどうかと紹介してくれた。
結果は合格。 1956年4月に入社して数カ月後、出版物の市場調査を行う出版科学研究所に配属になった。

ここでは大学教授らを招いて統計学や心理学などを学んだ。 まるで大学院にいるような雰囲気だったという。
この出版科学研究所で数値管理を徹底的にたたき込まれたこともSで役立ったのは間違いない。 その後、読者向けPR誌「新刊ニュース」の編集を担当し、文科系の書物だけでなく医学書も読み、書評を書きまくる。
物事をコンパクトにまとめあげる能力に長けていた。 最も好きな仕事が著者へのインタビューだった。
20代後半の若造が大作家の自宅や仕事場に出向いて話を聞くのは刺激になった。 新刊ニュースはSが担当する前には1万部ほどだったが、Sになって十万部を超えた。
東京出版販売で組合活動もこなしながら社外の著名人と会っていくうちに、「自分の仕事は虚業ではないか」と思うようになった。 友人たちと酒を飲んでいるときにその思いを「なにかいい仕事はないかなあ」とポロリと話したら、その友人がたまたまY堂を紹介してくれて人事担当者との面談がセットされた。
そもそもスーパーの存在もほとんど知らず、Y堂の名前も知らなかった。 この面接では「いつでもいいから入ってほしい」と誘われたが断った。
30歳で転機が訪れた。 知人の民間放送のディレクターたちと独立プロダクションを立ち上げる話が持ち上がり、資金の出し手を探すことになったのだ。
Sは1年ほど前に訪れたY堂に構想を持ち込んでみたのだ。 担当者から「面白そうだね」と前向きな発言を引き出すことに成功したが、ある条件が付いてきた。
「君(S)がY堂に入ったら」この誘いに乗ってしまいY堂に入社することに。 63年のことだった。
東京出版販売の組合幹部らからは慰留され、家族からも反対されたが、一度決めたことなので引き返すことは出来なかった。 Y堂はまだ4、5店の東京の下町にある小さなスーパーだった。

Y堂に入社してからは、販売促進のチラシ作りや商品管理をまかされるなど、基本的にはY堂本社内の仕事であり、売り場に立って自ら商売をすることは少なかった。 Sはまもなくアイデアマンとして頭角を現す。
人事・採用担当だった60年代後半、知名度の低いY堂には高校を卒業した学生はほとんど来なかった。 全国の高校に人材募集のお願いに行っても手応えは無し。

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